ビットコインの価格上昇がすごいのでなぜ価値があるのか真剣に考えてみました。
個人的な意見なので間違いなどいっぱいあるかと思いますが、多めにみてくれれば幸いです。
僕が思うビットコインに価値がある理由4つです。
説明過程においてはなぜそんなことを説明するのか意味不明になるかと思います。
ごめんなさい。
⓪人間の言語
①マネーとクレジット
②マンパワーとエネルギー
③アートの価値
では人間の言語から行きます。
人間の言語はその特性ゆえに常に虚構性を含みます。
おそらくですが、他の動物は虚構性の高い言語をあまり理解できないと思われます。
目の前にあるものを見て他の個体に指示を送る程度のことしかできないと思います。
敵が来た→12時の方向に逃げろ、といった感じですかね。
それに対して人間の言語は目の前にないことでも自由に表現できます。
つまり常に事実ではないことが文に含まれてしまいます。
まあ、嘘つきってことですね。
それゆえに現実と言葉が一致しません。
「世界にはリンゴが1つしかない」という文章を作ることは可能ですが、それは現実とは乖離していますよね?
実際には世界にはリンゴはいっぱいありますし、総数も随時変化します。
複雑な事象を表現できるが、正確性には欠くので信頼のおけない他の人間とビジネスをするときに大きな問題をうみます。
Aさんが「私は羊を1頭しか持っていないので、あなたの鶏15匹と私のたった1匹の羊を交換してくれないか?」と提案されたときに相手が1頭しか持っていないのか、そもそも本当に羊を持っているのかなど実際わからないのでAさんが個人的に信用できなければ取引はできません。
そこでクレジットとマネーの違いが重要になるんですが、パッと聞いてもよくわからないと思うのでクレジットを約束、マネーを価値あるコモディティとします。
母親と見知らぬおじさんを想像してください。
母親に「裏山に行ってキノコ取ってきてくれたら明日パンケーキ焼いてあげるわよ」と言われた場合と見知らぬおじさんに「裏山に行ってキノコを取ってきてくれたら明日パンケーキ焼いてあげるよ」と言われた場合、母親の要求はのんでも、おじさんの要求はのみたくないですよね。
これは実際にはキノコ狩りという今の労働の対価として将来何かを返してくれるという約束をしてることになるんですが、母親の約束は無条件に信用できたとしても見知らぬおじさんに関してはキノコを持ってバックれられる可能性を排除できないので信用が置けないわけですね。
そこでキノコの対価となるものを銅貨や米などのコモディティ(マネー)でその場で返すという条件をつけた場合はこれが見知らぬおじさんであってもおじさんそのものを信用する必要はなくコモディティ自体に価値があることが担保されるので取引がしやすくなります。
ビットコインは第一にこの人間の言語の虚構性及びそれに付随する信用できない相手との約束というハードルを補完するためのコモディティの条件をクリアしています。
第三者から見ても価値が確認できるし、分割もできるし、偽造が難しく生産コストが高いです。
唯一実際に何かに加工して消費することだけができないです。
金は加工して消費することができるのでビットコインとはそこが大きく違いますね。
ただこの生産コストが高く劣化もせず使い道がないという点が非常に重要で、この特性ゆえにビットコインは価値を担保できるようになったと思われます。
グアムとパラオのちょうど間くらいにヤップという島があるんですが、ここがドイツに占領される前にとても面白い経済圏を作り出していました。
この島の通貨が石貨でこれを担保に約束を発行して経済を回していたんです。
大きな石を加工して貨幣に変えるのには工業的な機械もない時代には途方もない労力を要したと思うんですが、見方を変えると劣化しない物体を作り出す工程に労働力を注ぎ込むことで劣化しない労働力の結晶を生み出したとも考えられると思います。
これだけの労働を費やしたのだから、同等の労力を注ぎ込んだ羊の養育と等価交換できるはずだという計算が成り立つ訳ですね。
ただこれだと2回目以降の取引は羊と対価として認められても1回目の取引は半分程度約束の要素が含まれていないと厳しかったんじゃないかなと思います。「俺は今からこの大きな石に穴を開ける。もし俺が穴を開けるのに成功したらお前は魚100匹を俺に譲ってくれよな」こういった日常のなんでもないやりとりだったんじゃないかと思います。1回目の取引が一番難しく回数をへるごとにお金として受け入れやすくなると思います。
ビットコインも初期の段階ではお金として機能しておらず技術オタクたちがお遊びでマイニングをやっていたと聞いています。そのお遊びの段階で少しずつ労力を蓄積していったのがビットコインの価値形成にとても重要な要素だったんじゃないかと思います。それを邪魔されるとビットコインがお金としての地位を確立できないのでサトシもそれを分かっていたからこそ初期においては一人でずっとマイニングしてたんだと思います。ブロックチェーンを動かす目的でやっていたのではなく、ビットコインという概念にエネルギーを溜め込む作業だったんだと思います。その後、ピザをビットコインと交換した人が現れましたが、その瞬間にお金としての地位を確立できたも同然で、だからこそビットコイナーにとってはピザデイがビットコインの誕生日なんだと僕は理解しています。
ピザデイはビットコインの奇跡ですね。
ビットコインはこのヤップ島の石貨にとても近しいので、おそらくBTCを実際に売買する人は減少し、BTCを担保にクレジットを発行するようになるのではないかと思います。ブレトンウッズ体制でいう金の兌換紙幣ですね。金がBTCで紙幣がクレジットになるかと思います。ヤップ島の石貨も重いので実際には取引にはあまり使われず、最終的には石貨で払えるからという担保を元にクレジットを発行して決済して経済を回していました。
マイニングは無駄だとよく揶揄されますが、人類の言語の虚構性を補完するためには労力及び人間の手によって加工されたエネルギーを使ってコモディティを作り出すほかなく、腐敗してしまったり、なくなってしまうものは富の蓄積先としては不適切なので米や貝殻などが採用された時期はあっても最終的には金や石貨など変化しづらいものを選ぶようになったと思うので、ビットコインは腐敗もせず、人的に加工されたエネルギーを大量に消費するのでお金として最適だと思います。あとはBTCを担保にクレジットを発行する団体が2、3出てくればビットコイン経済圏は完成すると思います。
単にエネルギーの塊だとうまくワークせず、あくまでも人類が外部エネルギーや人力を使って加工したものが有効になると思います。そうでなければ太陽を担保にしてクレジット発行できてしまうはずなので、それができないということは人的な介助とエネルギーの消費による疑似的蓄積は人類の認知的に必須なんだと思います。
もう1点ビットコインと金とで異なる点があります。
ビットコインも金同様偽造するのが難しいんですが、ビットコインのコード自体は公開されているのでビットコインそのものをコピーするのは簡単です。今流行りのドージコインはそういったビットコインをただパクった有象無象のパクリコインを揶揄する意図で作られたコインですね。この簡単にコピーはできるのにそれでも一番価値のある媒体としてオリジナルビットコインが君臨するという事実にアート性を感じます。
モナリザの複製を作ること自体は割と簡単にできると思うんですが、複製にある程度の小さな価格がついたとしてもオリジナルのモナリザに匹敵するだけの価格は絶対につかないですよね。感覚的にもわかると思いますが、これを因数分解したいと思います。
アートの価値は長さと深さで決まると個人的には考えていて長さは時間、深さは注目度や投資(労力や資金)を意味します。
古いものにはある程度価値がつくのはわかりやすいと思うんですが、単に古いだけのハニワとモナリザを比較すればモナリザの方に価値を感じますよね。それは深さが関係するからだと考えています。モナリザを描いたのはルネサンス期というイタリアが国家を挙げて奨励した欧州一帯に広がった動きの中の最高の天才が多大な時間をかけて描いた最も有名な絵画という注目度と投資が多分に含まれているのでハニワよりは新しいですが、深さが異常なまでに深いので深さx長さで面積を比較した際にはモナリザがハニワを圧倒する、というのが僕のアートに対する理解です。
ビットコインは暴走する金融業界とそれを抑えられない政府に対して創造されたアンチテーゼになるような芸術的作品です。リーマンショックという衝撃(長さ)を批判する意図を持って現代の天才エンジニアが作り出し人々が延々と投資をし続けている(深さ)最高の芸術作品です。この「長さ」は歴史に刻まれてしまったものなので変更できず、時間の流れとともに長さが増大していきます。「深さ」は現在進行形でどんどん深くなっています。どこまで深くなるのか分かりませんが、数十年後にとんでもない価格(面積)になっていることが予想されます。
以上、人間の言語の虚構性を補完する役割を持ちクレジットが通用しない世界において抜群の優位性を保ち、労力を延々と蓄積しお金としての地位を確立しながら、アートとしての価値をどんどん高めるビットコインに関する考察でした。